SAP_SAC解説

SAP Analytics Cloud 解説

BI・計画・AI/ML機能の技術詳細と実装設計ガイド

2026年6月

はじめに:SACが目指すAnalytics民主化

SAP Analytics Cloud(SAC)は「BI・計画・予測分析・AI」を単一のクラウドプラットフォームに統合するSAPのフラッグシップ分析製品です。2016年にSAP BusinessObjects Cloud(旧称)として登場し、以降SAPはBW/4HANA・Crystal Reports・Lumira・Analysis for Office等のオンプレミス分析ツールをSACへ段階的に統合する戦略を推進しています。

SACの設計思想の核心は「データの専門家だけでなく、業務担当者・経営層も自らデータを探索・分析・計画できる環境」の実現です。この「Analytics民主化」を支えるのが、後半で詳述するAugmented Analytics(AI搭載の拡張分析)機能群です。本稿では技術的な実装詳細に踏み込み、データモデル設計・接続アーキテクチャ・AI/ML技術仕様・セキュリティ設計・Planningの詳細まで解説します。

1. SACのアーキテクチャと技術基盤

マルチテナントSaaSとしての基盤

SACはSAP BTP上で稼働するマルチテナントSaaSです。ユーザーはWebブラウザ(Chrome・Edge推奨)のみでアクセスし、クライアントソフトのインストールは不要です。SACテナントはリージョン(データセンター地域)ごとに分離されており、データの所在地要件(GDPR・日本個人情報保護法等)に対応したリージョン選択が可能です。日本リージョン(jp1・jp10)が提供されており、データ所在地を日本国内に限定できます。

SACのデータ処理エンジン

SACの分析処理は「SAP HANAクラウドエンジン」上で実行されます。SACのデータモデル(Analytic Model / Planning Model)はHANA Cloudの列指向インメモリDBに格納され、HANAのインメモリ処理能力を活かした高速集計・多次元分析が実現します。ただし利用者はHANA Cloudを意識する必要はなく、SACの管理コンソール(テナント管理)上でメモリ・ストレージ容量を管理します。

三大機能領域とライセンス体系

SACは「BI & Visualization・Predictive Planning・Enterprise Planning」の三機能領域で構成され、ライセンスはその組み合わせで購入します。

各ライセンスタイプの厳密な組み合わせはSAPとの契約によって決まりますが、「誰がストーリーを作成し誰が閲覧するのか」「誰が計画を入力し誰が承認するのか」という役割定義がライセンス選択の出発点です。

2. データ接続とモデルアーキテクチャの技術詳細

接続方式の二大区分:ライブ接続とインポート

SACのデータ接続方式は「ライブ接続(Live Connection)」と「インポート(Import / Acquired Data)」に大別されます。この選択はパフォーマンス・鮮度・機能制約に重大な影響を与えます。

ライブ接続(Live Connection)

ライブ接続はSAC上のクエリ実行時に毎回接続先データソースにSQL/MDXクエリを発行し、最新データをリアルタイムで取得します。SACはデータのコピーを保持しません。

インポート接続(Acquired Data)

インポート接続はデータソースからデータをSACのインメモリDBにコピーして格納する方式です。

接続インフラ:SAPとオンプレミスの接続

SAP Cloud Connector(SCC)経由の接続

オンプレミスSAP BW・HANA・S/4HANAへの接続はSAP BTPのCloud Connector(SCC)を経由します。SCCは社内ネットワークに設置するプロキシソフトウェアで、SACとオンプレミスDB間に暗号化トンネルを確立します。インターネットへのポート開放不要の「リバーストンネル」方式のためネットワークセキュリティ要件が低いのが特徴です。

SAP Datasphereとのライブ接続(推奨アーキテクチャ)

SACとDatasphereのライブ接続は「SAP推奨のセマンティックレイヤー統合」です。Datasphereがデータ統合・仮想化・セマンティクス付与を担い、SACがDatasphereのモデルをライブ参照してBIと計画に活用する構成です。

SACデータモデルの種類と選択

Analytic Model(分析モデル)

Analytic ModelはSACのBIレポーティング向けのデータモデルです。インポートデータをスター型(ファクトテーブル+ディメンジョンテーブル)に定義します。

Planning Model(計画モデル)

Planning ModelはxP&A(Enterprise Planning)向けの特殊モデルです。BI向けのAnalytic Modelと異なり「計画データの入力・バージョン管理・配賦計算・書き戻し」という計画固有の機能を持ちます。

ブレンディング:複数モデルの結合

SACのストーリー上で複数のデータモデル(または接続)のデータを結合して表示する「ブレンディング(Data Blending)」機能があります。SQLのJOINに相当しますが、SACのUI上でノーコードで設定できます。

3. BI & Visualization:技術詳細

ストーリー(Story)の設計

ストーリーはSACの主要なレポーティング・ダッシュボード形式です。レスポンシブキャンバス(Responsive Page)・フリーフォームキャンバス(Canvas Page)・グリッドページ(Grid Page)の三種類のページレイアウトを組み合わせて設計します。

スクリプティング(Scripting)による高度なインタラクション

SACのストーリーには「スクリプティング(Scripting)」機能があり、JavaScriptライクな独自スクリプト言語でカスタムロジックを実装できます。

エンタープライズレポーティング:PixelPerfect帳票

財務諸表・法定報告書等の固定レイアウト帳票はSACの「エンタープライズレポーティング(Enterprise Reports)」機能で設計します。

4. Enterprise Planning(xP&A):技術詳細

データアクション(Data Actions):計画ロジックエンジン

データアクション(Data Actions)はSAC Planningの「計算・配賦・コピー・変換」等の計画処理ロジックを定義する実行エンジンです。ストーリー上のボタンクリックやスケジューラで起動します。

データアクションのステップ種別

高度計算(Advanced Formula)の構文

データアクションのAdvanced Formulaは計算式言語(Data Action Script)で記述します。主要な構文要素を示します。

計画シーケンス(Planning Sequences)

計画シーケンスは複数のデータアクションを順番に実行する「バッチ処理の連鎖」です。「Step 1:実績コピー→Step 2:為替換算→Step 3:原価配賦→Step 4:利益計算」という処理チェーンを一つのシーケンスとして定義し、ボタン一つで全ステップを連続実行します。

バリュードライバーツリーと戦略計画

SACのバリュードライバーツリー(Value Driver Tree)は「KPI間の因果関係を視覚的なツリーで表現しながら、試算(シミュレーション)をリアルタイムで実行する」機能です。

5. Augmented Analytics(AI搭載分析):技術詳細

SACのAIアーキテクチャ概観

SACのAI機能はSAP BTP上のSAP AI Coreと連携して動作します。ユーザーがSAC上でAI機能を実行すると、SACバックエンドがAI Coreのエンドポイントにデータを送信し、AI CoreがML処理・LLM推論を実行して結果をSACに返却します。ユーザーはこの処理を意識することなく「SACの機能」として利用します。

AI処理に使用するデータはSACのインポートデータモデル内のデータです。ライブ接続モデルはAI Coreへのデータ転送ができないため、AI機能はインポートモデルのみ対応します。

Smart Insights:要因自動分析の技術詳細

Smart Insightsは「なぜこの値が高いのか・低いのか・前回と違うのか」という要因分析を自動実行するAI機能です。チャートのデータポイントを右クリック→「Explain(説明)」を選択するだけで起動します。

技術的な処理フロー

Smart Insightsの内部処理は以下のステップで実行されます。

Smart Insightsの設定オプション

Smart Discovery:探索的分析の技術詳細

Smart Discoveryは「このKPIに影響を与えている要因は何か・データ内のパターン・異常値・相関はどこにあるか」を自動的に発見するAI駆動の探索的分析(EDA:Exploratory Data Analysis)機能です。ユーザーが「分析したいメジャー(目的変数)」を指定するだけで、SACが全ディメンジョン・全メジャーを自動スキャンして関係性を発見します。

Smart Discoveryの処理アルゴリズム

Smart Discoveryの出力ページ

Smart Discovery実行後、自動生成された「Discovery」ストーリーに以下の分析ページが生成されます。

Smart Predict:機械学習予測モデルの技術詳細

Smart Predict(SP)はSAC上でノーコード機械学習予測モデルを構築・管理するサービスです。三種類の予測シナリオが提供されており、それぞれ異なるMLアルゴリズムが使用されています。

分類シナリオ(Classification Scenario)

「このリードが成約するか・この顧客が解約するか」等のYes/No(二値分類)または多値分類を予測するモデルです。

回帰シナリオ(Regression Scenario)

「来月の売上は何円か・次の受注数量は何個か」等の連続数値を予測するモデルです。

時系列予測シナリオ(Time Series Scenario)

時系列データ(日次・週次・月次の売上・需要量等)の将来値を予測する専門的なシナリオです。

Smart Predictのワークフローと実装手順

Smart Predictモデルの構築から本番適用までの実装手順を示します。

Smart Predictと計画の統合:予測駆動計画

Smart Predictの最も強力なユースケースはxP&Aとの統合です。Smart Predictで生成した予測値(将来売上・将来需要)を「計画の初期値(ベースライン)」として計画モデルに自動書き込みします。

Search to Insight / Just Ask:自然言語クエリの技術詳細

「Search to Insight」(旧称:Smart Search)はSACの自然言語インターフェース(NLQ:Natural Language Query)機能です。ユーザーが「今年の売上を製品別に見せて」「先月で最も利益率が低い地域はどこ?」と日本語(または英語・ドイツ語等11言語)で入力すると、SACがクエリを解析して自動的にチャート・テーブルを生成します。

NLQエンジンの技術的仕組み

Just Askの機能拡張

「Just Ask」はSearch to InsightをSACのトップページ・Digital Boardroomに統合した対話型AI機能です。単一クエリへの回答だけでなく、「前の質問の結果をさらに掘り下げる」という多ターン対話に対応します。

Generative AI統合:SAC Joule

SACの最新AI機能として「SAP Joule(JouleのSAC統合)」が展開されています。Jouleはサイドパネルとして開き、以下のGenAI機能をSAC上で提供します。

ストーリー自動生成(Joule for SAC Stories)

Jouleに「売上トレンドを分析するダッシュボードを作って」と自然言語で指示すると、接続されたデータモデルから適切なメジャー・ディメンジョンを選択し、チャート・フィルタ・インサイトテキストを含むストーリーを自動生成します。

インサイトの自然言語要約(Narrative Insights)

チャート・ダッシュボードの右クリックメニューから「Explain This Chart(このチャートを説明して)」を選択すると、Jouleがデータを分析して自然言語の説明文を自動生成します。

Data質問への回答(Conversational Analytics)

Jouleに「先月の売上が目標を下回った主な理由は何?」と質問すると、SACのデータを参照・分析して回答します。Smart Insightsの要因分析をGenAIで会話形式で実行するイメージです。

Anomaly Detection(異常検知)の詳細

SACのAnomaly Detection(異常検知)機能は時系列データの「通常パターンから外れた異常な変化」をリアルタイムで検知してアラートを発報します。

AI機能の制約と品質管理

SACのAI機能を実際に活用する上で認識しておくべき制約と品質管理のポイントを整理します。

6. デジタルボードルームと経営ダッシュボード設計

Digital Boardroom(デジタルボードルーム)の構造

Digital Boardroomは取締役会・経営会議向けの「プレゼンテーション・対話的経営分析」を一体化したSACの特殊ビューです。

セキュリティとデータアクセス制御

SACのセキュリティは「テナント管理者」「コンテンツ管理(フォルダ権限)」「データアクセス制御(行レベル)」の三層で構成されます。

7. 他社導入事例

事例1:国内製造業A社 — Smart Predictによる需要予測精度改善

背景と課題

多品種少量生産の製造業A社では、月次の需要予測が担当者のExcel感覚値に依存しており、予測誤差(MAPE)が平均25%を超えていました。過剰在庫による廃棄コストと欠品による機会損失の両方が発生しており、在庫計画の精度改善が経営課題になっていました。品目数が3,000を超えるため、全品目を手動で精度分析する工数も確保できない状態でした。

SAC Smart Predict導入と成果

A社はSAP S/4HANA(在庫・販売実績)のデータをSACにインポートし、品目カテゴリ別に時系列予測シナリオをSmart Predictで構築しました。アルゴリズムはSACが自動選択(季節性の強い品目にHolt-Winters・非季節性品目にARIMA)した結果、全品目平均MAPEが25%から14%に改善されました。予測値はデータアクションでSAP IBPの計画データとして連携され、S&OPサイクルに組み込まれました。欠品率の改善と過剰在庫削減によって在庫圧縮効果が実現したと報告されています。

事例2:金融サービス業B社 — Smart Discoveryによる解約予測モデル

背景と課題

金融サービス業B社では、契約解約率(Churn Rate)の高止まりが収益計画の障害になっていました。解約の事後対応(解約申請後の引き止め施策)では手遅れであり、解約リスクの高い顧客を事前に特定して先手を打つ「プロアクティブ顧客維持」の仕組みが求められていました。

SAC分類シナリオ+Smart Discovery導入と成果

B社はSACの分類シナリオでChurn予測モデルを構築しました。目的変数を「契約更新時の解約有無(Yes/No)」、説明変数を「契約期間・利用頻度・サービス利用履歴・クレーム件数・最終ログイン日・NPS(顧客満足スコア)等」として設定しました。GBMモデルのAUCは0.88を達成し、予測解約確率の上位20%顧客への先手施策(専任担当者のアウトリーチ・プロモーション提供)を実施した結果、解約率が改善したと報告されています。SHAP値の分析から「最終ログイン日からの経過日数・クレーム件数」が解約の主要因と判明し、製品チームがUX改善施策に活用しました。

事例3:小売業C社 — Just Askによる現場への分析民主化

背景と課題

全国に店舗を展開する小売業C社では、店長クラスの管理者が売上・在庫状況を確認するために毎回本部のBI担当者にExcelレポートを依頼するプロセスが発生していました。BI担当者のレポート作成工数が月間200時間を超えており、データ活用の即時性・自律性に課題がありました。

Just Ask(自然言語クエリ)導入と成果

C社はSACのJust Ask機能を全店長向けに展開し「今月の自店舗売上上位10品目を教えて」「先週の廃棄金額が最も高い商品カテゴリは?」という自然言語クエリで即座に回答が得られる環境を整備しました。BIスキルを持たない店長でもスマートフォンのSACアプリからJust Askを操作できるよう、モバイル最適化されたDigital Boardroomと組み合わせて展開しました。本部BI担当へのレポート依頼件数が大幅に削減されたと報告されています。

8. SACの技術的制約と運用設計

パフォーマンス設計の注意点

四半期アップグレードと変更管理

SACはSaaSのためSAPが定期アップグレードを自動実施します。四半期に一度のメジャーリリースと月次のマイナーリリースが行われます。

以上